歴史の中の泉頭城

後北条氏、そして徳川家康

泉頭城 泉頭城は、1554年北条五代の3代目北条氏康が武田勢に備えるために築城されたといわれ、武田氏滅亡の後は、駿河国主となった徳川氏に対する最前線の城となった。 豊臣秀吉による小田原征伐(小田原の役)により、後北条氏が滅びた後は、泉頭城は廃城となったとされる。 しかし、この城は、要害地形、交通の要衝であるのみならず、生活環境もとてもよいという場所にある。大阪城を攻め落とし江戸政権を磐石にした徳川家康は、この地を隠居場所と決定し、縄張りのためにこの地を訪問する予定まで決まっていたにもかかわらず、翌年早々、急遽中止となり、隠居場所は駿府(静岡市)へと変更された。 もし家康の隠居城として新たに泉頭城が築城されていたならば、どれほど立派な城になっていたかと想像するのもまた楽しいものです。 柿田川名所湧水の道は、泉頭城の本曲輪(本丸)位置し、柿田川公園と共にいくつか遺構が残されています。 案内図を参考になさって、当時のようすを想像しながら散策してみてはいかがですか。
船付曲輪跡

船付曲輪跡

本曲輪跡


一ノ洞跡

一ノ洞跡 (国道1号線から見る)

三ノ洞跡

三ノ洞跡。駐車場へ通じる道にあたります。


堂ノ口出丸跡

堂ノ口出丸跡 (国道1号線から見る)

西曲輪跡

西曲輪跡 柿田川公園芝生広場


二ノ洞跡

二ノ洞跡 柿田川公園湧水広場

第六天曲輪方向

第六天曲輪方向への道